photo: PROPAGANDA, TV ASAHI "News Station"



93年12月9日、10日東京ドーム。ツアー最後の日だった10日は、"Where The Streets Have No Name"の最中にBONOがアリーナを一周し、続く"Pride"を息を切らせながら歌った。
電話コーナーでは9日が曙、10日は時報だった。

12/9、10 - 東京ドーム (Set List) 

 
           
                 


12.9, 10-東京・東京ドーム
多くの人がチケットが高すぎると思っていたし、学生は週ど真ん中のステージ(初日)を避け、2日目へと人は流れた。
初日はドームの3階に実際人が入っていなかった。悪い音響効果のせいもあり観客も一体にならない中、U2の調子も非常に悪く、比較的静かに演奏した。"Even Better Than The Real Thing"の時、EDGEのギターのトランスミッターが不調で、ほとんどギターなしで歌った。セキュリティが厳しかったせいもあり、ファンは席から立つことさえも許されず"Trying To Throw Your Arms"でBONOが選んだ女の子は、ステージに上がる前に徹底的に身体検査されてからステージに上がることを許された。[MacPhisto]は、有名な関取・曙に電話し、腕相撲大会に招待した。
  音響設備が改善されて、2日目は少しよくなった。U2はツアー最後の夜に全エネルギーを注ぎ込んだ。"Where The Streets Have No Name"の時、BONOはステージを飛び降り、アリーナの周りを走り回った。BONOの突飛な行動に度肝を抜かれたセキュリティ達が大勢ついてくることを心配しながらも。Madonnaがサウンド・デスクからステージを観ていた。ケータイで参加しながら。Macphistoは、アンコールのあいだ中彼女に電話したが、結局つながらなかった。

12/10のショーは、Zoo TV ツアーの157回目で、'92年2月29日のフロリダ・レイクランドから始まり、途中アルバム[Zooropa]制作のため半年中断したが、Zoo TV Stationとともにほぼ20ヶ月に渡るツアーのファイナル(最終日)であった。ラストはテクニカル・トーイを使用して、東京のショーは'90年11月に始まった一つの段階をもクローズすることとなった。その'90年は彼らがベルリンへ行き、のちの[Achtung Baby]となるアルバムの制作に着手し始めた年でもあった。U2と側近達はオールナイトで最後のクルーパーティを開いた。そしてなじみの土地であるDublinへと戻り、将来をじっくり考えるために9ヶ月のオフをとった。

 
(Ref: "U2 Live" a concert documentary....OMUNIBUS PRESS)     Special thanks to Yasuyo-san