From The Irish Independent: Bob Hewson http://www.unison.ie/irish_independent/stories.php3?ca=45&si=501471&issue_id=5154  ボブ・ヒューソン氏(75)は充分に苦しんだ。ガンによって余命幾ばくもなかった。 そして月曜日の午前4時、彼は苦しみから解放された。  「彼は今や完全に解放された」と、彼の息子であるボノは、LondonのEarls Courtに 火曜日に集まった25,000人の前でステージ上から話しかけた。「この曲は彼のために 書いたものです」と言って、Kiteを始めた  自分の父親を失った痛みと悲しみで頭の中が一杯であっただろうが、ボノはLondonの コンサートを強行した。彼は自分の父親、引退した郵便局員に特別な言葉を送った。  「俺の親父に、この声をくれたことに対する礼を言いたい」と、ボノはEarls Courtの 大勢のファンに話しかけた。それから彼はKiteを父親に捧げた。  ボノはイギリスのツアーのまっただ中の昨週に、彼の父親が危篤状態にあると公言 した。「彼はあと数日しか生きていられないと思う。これはボブ、頑固なあなたに捧げ ます」  ボブは1925年11月13日に生まれた。彼は先週にガンで倒れた。ボノはコンサートが 終わると父親の枕元へと急ぎ、亡くなったときも側にいた。その晩のEarls Courtでの コンサートでは、ボノが姿を現すと観衆は総立ちの拍手で迎えた。彼は跪いて十字を 切り、観衆に呼びかけた。  「彼は素晴らしいテナーで、俺が彼の声をしていたらどうなるか考えて見ろよと 言っていたものさ。ここ数週間はずっと具合が悪かったけど、今はもうこの世には いないんだ。彼はElvisのようにこの惑星から旅立ったんだ」  Elvisのように、ボブ・ヒューソン氏はかなりの豪傑であった。ボノはパリで、 彼のキャリアの中でかつて一度だけ、泥酔してステージに上がったことがあるが、 酔っぱらったのは父親が飲ませたからなんだよと言及した。  1987年、San Franciscoの金融街でゲリラライブを行った際にボノは突然に芸術 表現をしようと思い立ち、ロックンロールのパワーを示すために「Rock and Roll Stops the Traffic」とスプレーでビルに書き込んだことがある。その時、ボブは 激怒した。San Francisco警察はボノに、悪意あるいたずらとして軽犯罪を適用 した。ボブはアイルランドの新聞各紙に、自分の息子は「いかなる刑も受けなければ ならない」と語った。  ボブ・ヒューソンとアイリス・ランキンは、幼なじみであった。彼らは1950年の 8月6日に結婚した。彼らは同じ通り、ダブリンのOxmantown Roadで育った。彼は カトリックで、彼女はプロテスタントであった。  当時のアイルランドでは、ボブとアイリスのように信念を貫いて結婚することは 疑いなく勇敢なことであった。この信念は彼らの末っ子、兄のノーマンよりも7歳 年下のポール・デイヴィッド・ヒューソンが、アイルランドで初めて創立された 特定の宗派に属さない男女共学校であるMount Temple High Schoolに通うように なったことにも影響した。  その時代では、このような「混血の」子供達はアイルランドではカトリックの洗礼を 受けることを期待されていた。アイリスとボブは2人の子供をプロテスタントとして 育てた。日曜日には、ボブ・ヒューソンはFinglasでのミサに参列し、その後Church of Irelandでアイリスと2人の子供達が出てくるのを待っていた。  この宗教的分裂は、様々な面、特に彼の音楽や信念における宗教に対する深い関係 の面でこのU2のフロントマンに影響を及ぼした。「俺はよく、宗教が神の敵なの ではないかと考えるんだ」と、かつてボノは言った。「宗教というのが、まるで精霊が 建物から離れたときに起こる出来事じゃないかと思うんだ(?)」 原文:It's almost like religion is what happens when the Spirit has left the building.  そして彼は1997年にTime誌に語った。「俺は神を信じている。けど、宗教に深入り するのは、俺には難しい。俺はプロテスタントとカトリックのミックスした家庭で 育ち、そしてうちを取り巻くものを見続けてきたんだ。だから宗教に対しては 神経質なところがあるね」  1974年9月14日、アイリスが脳内出血でこの世を去るという悲劇が起こった。彼女の 父親の葬儀中に倒れてから4日後のことだった。幼いうちに自らの母親を亡くすという のは、ラリー・マレンも同じであった。彼は1973年に姉を、1977年に母親を亡くして いる。  ボブは金曜日にHowthの漁港近くのChurch of the Assumption(マリア昇天教会?) で1時間のミサが行われた後、Old Balgriffin墓地に埋葬された。ボノ、妻のアリと 彼らの4人の子供達、そして兄のノーマンが会葬者の案内をした。参列者の中には U2のメンバーのエッジ、アダム・クレイトン、ラリー・マレン、U2のマネージャーの ポール・マクギネス、歌手のRonan Keating、the DublinersのRonnie Drewらがいた。  ミサの終了の前、ボノとエッジはボブにひとつの曲を捧げた。それは「Sometimes You Can't Make It On Your Own」という曲で、ボブとアイリスが子供達に教え込んだ 信条と同じであった。 Barry Egan