Love Me. Believe Lies 俺を愛して。嘘を信じて。 http://www.metroactive.com/metro/cover/u2-0115.html  恍惚とダンスミュージックに溢れた新世紀に、U2のようなオールドスタイルの アリーナロックバンドが高額の入場料を正当化できるのであろうか? By Gina Arnold Photographs by Otto Kitsinger  マイアミという街は、アメリカのどの街とも似つかない。他の土地で育った者には その熱帯性の気候から英語とは違う共通語のようなものまで、全てが違って見える。 見た目も、本能的にも嗅覚も、マイアミはハバナ(キューバ)やバンコクに近い ものがある。ハバナとはカリブ海の影響と、立ちこめる葉巻の煙の臭いが、バンコク とは恐ろしいまでの高層建築、渋滞の高速道路、マングローブ林の沼地の臭いが、 そう思わせる。  マイアミはアメリカの例外、と言ってもいいだろう。それはロック界の大物が やってきても、さざ波ひとつ立たないことが如実に示している。3月24日のFort Lauderdaleに始まり、4月19-20日にSan JoseのCompaq Center(旧San Jose Arena) にやってくるU2のElevationツアーは、2001年最大で最も高価なコンサートで あるが、ショウの始まる前日になっても大騒ぎしているなどといった話は、 ここマイアミでは聞かない。新聞にもない。ラジオでの1時間毎の告知やプレゼント なんて言うものもない。うわさ話もないし、売ります買いますのコーナーにも チケットを求めるものはない。  その代わりに、この週の新聞やラジオは、別の音楽の出来事に注視していた。 South Beachで第15回Winter Music Conferenceが開催されていたのだ。このイベントと 絶え間ないパーティーには、6,500人のダンスミュージック界のボス、ミュージシャン、 DJ、およびその10倍ほどの熱狂的ファンや大会出席者が集っていた。この中には Fatboy Slim、Paul Oakenfold、Daft Punkがおり、マイアミとマイアミビーチで 行われた5日間に渡るパーティーやレイブを統括した。  それに加え、U2の初日である土曜日には、マイアミのBayfront Parkにおいて 巨大なアウトドアレイブUltra Festが開催されることになっており、マスコミには 後者の方が重要であった。なにしろ、Ultra FestとWinter Music Conferenceによって マイアミがレイブ、ダンス、テクノの中心になったことが祝われるのだから。  それがマイアミの状態であった。しかし、それによってU2のような明確な 古いタイプのロックバンド(ギターが2つにベースとドラム)が混合された文化の 中で非常にマッチした。  Ultra Festにおいて、35,000人の参加者のほとんどが14歳から24歳であった。彼らは 若く、華やかで、ほとんど裸で、ビートの利いた歌詞の少ない音に合わせて、トランス 状態で踊り狂っていた。全能の"ビート"によってひとつになることを望みながら。  NHLのFlorida Panthersの本拠地でありU2のコンサートの会場である、National Car Rental Arenaという露骨な名前のついたアリーナの駐車場は、それとは非常に 対照的な光景であった。午後7時には、レイブに参加している若者達は高層ビルの 谷間でpixie stick(?)を食べながら興奮を冷ましていたが、一方でアリーナの 駐車場は、プレスされたジーンズ(?)、カーキ、ボタンダウンのシャツ、スカート と言ったきちんとした身なりの男女を乗せたレクサスやSUV(RV)でいっぱいに なっていた。30歳以下の人間はほとんどおらず(いたとしても少し)、ハイになって いる様子の人は皆無であった。皆きちんと列をなし、静かに会場へと入っていった。  Ultra Festでは、私は自分が若くて流行に敏感で、WoodstockやLollapaloozaといった ものと似通った共同意識を感じていた。U2の方では、Neil DiamondやWayne Newton などを見に来た自分の親の世代のようだと、はっきりと感じた。しかし、それは U2のせいではない。  かつてロックコンサートが無軌道のどんちゃん騒ぎであり、若者が自分の文化的な しきたりから自由になって同じような心を持つ仲間と交流する場であった。しかし この10年はこの役割はレイブに取って代わられた。ロックコンサートは、ほとんど 正反対のものになってしまった。柔軟性がなく、体系化され、しかも非常に高価な。  Ultra Festのチケット価格は70ドルであった。一方でU2のチケットの最高価格は 130ドルであった。これにサービス料と駐車料金が加算される。したがって、陽光が 翳り始めた時にNational Car Rental Arenaに来る途中で疑問に思ったのは、果たして U2が2倍の年齢のファンをベースにした客層を相手に、ホスピタリティの良くない コンサート環境で、U2の得意とする擬似宗教体験を与えられるかどうか、U2の ショウはその価値があるのだろうか、というところにあった。  ◆無力な面  Sunriseと呼ばれる地区のEvergladesの郊外に、NATIONAL Car Rental Arenaは存在 する。Fort Lauderdaleからは東に10マイル、マイアミからは北に30マイルである。 今日では多くのアリーナ級のロックバンドがインドアのコンサート会場として使う ように、この類の会場の代表例と言っていいだろう。一方で、アウトドアのコンサート には、特にロックコンサートではShoreline AmphitheaterやConcord Pavilionの ような場所が使われる。  どの会場も、収容人数は1万人から2万人である。こういった会場は、広大な 都市圏の人々に対応できるように郊外にあることが普通で、企業に名前を売却して いることが多い(たとえばSan Jose Arenaは、San Jose SharksとSan Jose市に 年額313万ドルを15年間続けて提供する条件でCompaq Arenaと改称されている)。  そういった悲惨で現実的な面もあるが、一方で優れた面もあることも忘れては ならない。駐車場、トイレ、売店、そしてセキュリティ面では数え切れない。 このようにして旧式のロックコンサートの持っていた我慢できない点、たとえば 長い列を作って待たなければならないとか、ろくな食事がないとか、ステージが 何も見えないのに酔っ払って危険な観衆と一緒にいなければならないといった 点から解放された。  しかし、快適さには代償が伴う。たとえば、U2のSan Joseの公演日は最高値が 140ドル、駐車料金15ドル、ビール2杯で20ドルかかる。Tシャツが30ドル、 プログラムが20ドル、おまけにセキュリティチャージ(8.5ドル)がチケットに 加算され、一人当たりの消費金額は250ドルにも上る。シアトルやシカゴなどへの 往復チケット、小洒落たホテル2泊分、革のジャケット、6万マイルの車検(?)、 2週間の電気代(?)、EMusic.comの1000株分、CDは15枚前後の値段である。 (写真)http://www.metroactive.com/metro/gifs/u21-0115.jpg  ◆アーティスト批判  コンサート業界誌Pollstarの編集長Gary Bongiovanniは、数時間のエンターテイン メントには高すぎる値段設定であり、その責任はRolling Stonesにあるとした。 「彼らはBridges to Babylonツアーのインドアレグで、チケットの最高値を300ドルに 設定したのです」  加えて彼は、お気に入りのバンドに対してそんな法外な金額を払うファンの側にも 責任はあるとも言った。U2のツアーについては「ここ数年でも高額な部類に入り ますが、だからと言ってファンがそれを買わないということにはならないのです。 アリーナツアーの価値基準が変わってしまったので、かつては高いと思われていた 値段も、今は当たり前になってしまったのです。要するに、ベビーブーマーに人気の あるバンドが、ファンは自分たちを見るためには金を払うことを知ってしまったの です。あたりを見回して『Tom Pettyはこんな値段にしているのか』と気づいたと します。もしあなたがRod Stewartなら『そうか、俺もその値段でやるべきだな』と 思うでしょう」  Madonnaのほぼ10年ぶりとなる夏のツアーでは同じような値段設定になるだろうと、 彼は見込んでいる。The Eaglesも今年夏にツアーの予定があるが、その値段になる だろう。しかし、場所によっては185ドルにもなるElevationツアーは、まさに新しい 例となってしまった。  「人々は財布で忠誠心を示すんですよ」とBongiovanniは指摘した。「1998年から 1999年にかけて、チケットの価格は30%も跳ね上がりました。チケット1枚あたりでは 10ドルの加算になります。2000年は変わりませんでしたし、2001年もそれは変わらない と思いますが」 "  U2がそのような価格に設定できるのは、San Jose Arenaのコンサート参加者は Oakland ColiseumやCow Palace、Shoreline Amphitheaterに行くような人よりも、 その高いチケット代を払えるからという理由がある。  「ここ数年の調査で、South Bayの住人はエンターテインメントに消費する金額が多い ことが分かったのです」と、Compaq Centerの出演契約担当の重役であるSteve Kirsner は語った。「多くの場合、OaklandとSan Joseのマーケットは分かれていますので、 ロックバンドにはその両方での公演をするように勧めるのですが、Oaklandよりも San Joseのほうがチケットが良く売れることが分かってきたのです。そのおかげで 我々を評価が上がっているのですが」  それでもなお、KirsnerはU2の価格設定にはショックを隠せない。彼の意見では、 これはプロモーターや会場よりもバンド側に責がある。「アーティストはチケットの 価格については口うるさいのです」と彼は言う。「彼らにツアーを行わせるために、 プロモーターはある程度の金額、たとえば1000万ドルとかを保証しなければなりません。 次に彼らは支出を試算して、それを席の数で割り、それが185ドルと算出されて、 それで・・・。きついですよ」  「どの業界のミーティングでも、同じ話題で盛り上がっていますよ。そんな金額に 設定するなんて、我々は自分で自分の首を締めているのではないかって。どの価格に なったら消費者は買うことをやめるのかって」  「しかし、本質はアーティスト側の姿勢が強固なところにあるんですよ。彼らは 会場の外にはダフ屋がいて、40ドルのチケットを250ドルで売っている。だから 自分たちで250ドルと設定して何が悪い。ダフ屋をこの世界から締め出す。それが 最近の風潮なのです。それと、この地域では金を手にしたらすぐに使ってしまう。 NASDAQがそうしているように、近いうちに終わりを見ることになるかもしれません」  Kirsnerは、高価なチケット価格設定に反対するアーティストとしてGreen Dayを 挙げた。このアリーナは、彼らの公演のチケット価格を25ドルと設定している。「しかし ですね、一方で彼らもお金を欲しいわけですよ。そうすると我々の取り分を減らさ ないといけない。これはジレンマですよ。ショウを実施すべきか否か。今日では 我々の売り物と言ったら時間くらいのものです。実際、それで食っているわけです からね。しかし、ここではいろいろなタイプのコンサートを開きたい。それから、 もちろん駐車料などでもお金を稼ぎますが、観衆はミネラルウォーターしか飲みません からねえ」  Bongiovanniは、アーティストの意思が最も尊重されることに同意した。そして、 彼が言うには、それは観客が(チケット価格に対して)首を振るまで続くとも。もちろん、 「よくあることですが、一部のバンドは法外なギャラを要求したり、彼らに相応しくない 大きさの会場を要求することもあります。これは会場によってもアーティストによっても タイミングによっても変わるものです。ある時期は人気があったとしても、4週間も 経つとどざえもんになっていることもありますから。チケットの価格と言うのは、 奇妙な科学ですよ」  Kirsnerは、セキュリティの費用、光熱費などを含めて、必ずしもそれだけで黒字に なる必要はないと言う。たとえばU2の場合、2晩だけで駐車料と売店の売上だけで 10万ドル弱を稼ぐ計算なのだ。  このアリーナはSan Jose Arenaのオーナー企業が運営しているが、San Jose市から 減税対象になっているため、コンサートの売上はほとんどそのまま懐に収まる。赤字を 計上しているチームの現状にとっては、非常に大きなアドバンテージである(とは いえ、プレイヤー一人のサラリーは10〜12回のロックコンサートの売上と同じくらい だと、Kirsnerはため息混じりに告白したが)。  そしてそれは、主にツアーを回ることになっているロックバンドと交渉し、確実に 連れてくるバイヤーを雇うことによってロックコンサートの会場としてよい評判を 得続けてきたこのアリーナが、ここ数年はその道から外れつつある理由になっている (「その前は」とKirsnerは言う。「我々は新聞の日曜版を読んで、誰がくるかを 知るような状態でしたから」)。  事実、企業の会合、成功するためにセミナー、宗教集会などのほうが利益が上がるの だ。では、なぜロックコンサートを続けるのか?「名声ですね」と、Kirsnerは即座に 答えた。「それから、我々には上客がいるんですよ。スイートルーム、シーズン チケットの所有者、それからSan Jose市民。我々にとっては、ビッグネームをここに 呼んでこれらの人々を幸せにすることが重要なんです。ですから、我々はプライドを 少しばかり捨てて、彼ら(つまりU2)が首を縦に振る値段を言うのです」  Compaq Centerのようなアリーナの持つ問題点として、今回の公演日を前提として U2に対して入札するためには、KirsnerはNHLと交渉しなければならなかった ことがある。4月19日と20日はプレイオフが予定されているため、Sharksがプレイオフに 進出した場合はホームでの試合ができなくなるため、U2の公演を入れるためには SharksとNHLに対して保証金を払わなければならないのだ。  「彼らはそうしたくないんですが」と、Kirsnerは言う。「それから、そのせいで 連日連戦の試合をしなければならないかもしれませんが、そういった状況を押し付ける のも好ましくありません。しかし、U2は非常に重要なバンドです。そういった リスクは、喜んで買います」 (写真)http://www.metroactive.com/metro/gifs/u22-0115.jpg  ◆高揚体験  アリーナに関しては、リスクを背負った分の報いはあった。U2のコンサートは 売り切れになり、Sharksはプレイオフに進み、すべてがうまくいった。しかし、 ファンはどうだろう?U2はいつもロック界で最もファンを大切にするとみなされて きたが、この法外な金額の要求はとりわけ不実に映る。  ショウを見るまでは、私はそう思っていた。しかし、観衆が全体を見渡せるような 会場設定を見て、彼らが問題を真摯に検討したことがはっきりと分かった。Elevation ツアーはU2が検討を重ねた結果であり、これは絶対に自分たちのやり方が正しいと 証明できるものである。 結論1:あるファン(おそらく年上で、裕福な)は指定席がいいだろうし、そうで なければ(たぶん若くてお金があまりない)ステージ近くでU2の近くに行く機会を 持ちたいと思うだろう。今日のスポーツアリーナでは、General Admissionという 席種はほとんど存在しない。これは保険と安全面からの措置である。しかしU2は 断固としてそれを導入し、金持ち(熱狂的でないことが多い)がステージに近い席を 取れるという既存のチケット価格の論理を修正した。  この結果は、全員が納得できるものになった。快適さを求めるとか、古いことわざ 「値段の高いほうが良い」を信じているなどの理由でお金を払うことに抵抗のない 人は席に座れて満足している。U2を愛しているがそのようなことに金を使いたく ない人は、アリーナの真ん中まで延びるハート型のキャットウォークがあるために、 彼らと近づきたいと思い、そのあたりのチケットを取る。この結果、ボノがハートの 先端にいるときは、アリーナ後方にいる人でも、今までより150メートルほども近くに いることができる。そして先着順制によってハートの内側に入ることができた300人 ほどの人には本当に近くに位置することができる。 結論2:U2ファンはU2の音楽を愛している。彼らは銀色の巨大レモンや千変万化の 発光ダイオードスクリーン、圧倒的多量のビデオ映像(前回、前々回の全米ツアーで 行われた)のような、人の気を散らせるような何百万ドルもする仕掛けを必要としない。 Elevationツアーでは、ファンファーレ無しにライトだけに照らされて現れ、オーディ エンスに飛び込み、熱をこめて演奏するなど、U2はシンプルな仕掛けにしか頼って いない。  そう。まるで旧態依然としたバンド形態。しかしこれは同時に、アーティスティックな 高潔さ、感情の充足感といったとても現実味のある経験であり、U2のElevation ツアーの価格を認めるのに真に値すること、つまり、130ドルという価格に見合わない 経験しかできないと決めてかかってこのショウに出かけていった皮肉屋(註:この ライターのこと)にとっては非常に新鮮であった。  そう。彼らに怒りを向ける準備ができていた私はそこにいた。しかし、U2が 現れて2分もしたら(ああ、悲しいかな、土壇場でPJ Harveyに代わってThe Corrsが 前座を務めたのだが)、それがどこかに飛んでしまった。チケット価格やセットの シンプルさと、With or Without YouやSunday Bloody Sundayといった曲に対する 私自身の無関心にもかかわらず、U2は素晴らしかった。上記の曲は、何度も何度も 心地良く聴こえた。気取らず、熱情がこもった、そして時々意味の深いパフォーマンス であった。  その晩で最も印象的だったのは、Mysterious Waysの演奏中であった。U2の背後に あるスクリーンが「Love」そして「Me」、それから「Believe」と「Lies」という 文字を何度も映し出した。これは人生、芸術、ロックスターの身分の根本にある いくつかの真理を、説教じみても重々しくも大げさでもないやり方で示していた ように思う。  この光景が示すように、Elevationツアーは今までのインドアのコンサートの概念と 比べて新しいところは特にない。巨大なスクリーンがメンバーの顔を映し、趣味の 良い照明がある。しかし抑制が効いているために、音楽がこのコンサートでは より重要な位置にあることを示している。  もちろん、アルバムATYCLBがここ10年で一番の出来であることも助けになって おり、昔の曲、たとえばI Will Follow、Bad、One(いくつかは、ロックの名曲Young Americans、Walk on the Wild Side、Get Up Stand Upなどによって補強されていた) と同じようにひたむきに演奏された。したがって、多くのアーティストはツアーが グレイテストヒッツに仕上げてしまうことが多い。U2は20年のキャリアの中で うらやましがられるようなヒット曲のレパートリーをもっている。 結論3:U2のロック界でのポジションは確かなものであるが、それは当然のもの ではない。チケットセールスの結果、U2は自助努力無しにチケットが売れる 立場になったのだが、彼らはそれに甘えているわけではない。それどころかU2は、 1981年に私が初めて見た、San Francisco CivicでのJ. Geilsの前座で放っていた のと同じ熱情を見せ、ロックンロールのいいところを再認識させた。そして同時に ダンスミュージックに欠けているものは何かと考えさせられた。おそらく面白みで あろうが。  Ultra FestでのPaul Oakenfoldのセットでは、観客は曲にあわせてこぶしを ステージの方に突き上げたが、その場で個人的に行った調査では、半分以上の観客が ステージ上に誰がいるか認識していなかった。レイブでは、メッセージ性がなく、 口やかましい説教もないので、誰が演奏しているかなんて関係ない。ダンスミュー ジックは体を駆り立てるものであり、物語をベースとするU2のような曲とは、単に セックスをすることと愛し合うこと、一晩の関係と結婚ほどの差がある。どちらも 気持ちがいいものだが、片方は永続する感覚である。結婚と同じように、U2は 観客から献身を受け取り、その逆は・・・、まあそれはともかく、ロックはそれを 愛する者には最上のものであり、バンドがその道を進むのであれば、我々は彼ら から離れられなくなる(we can't leave behind)という結果になる。そして、 それは値段をつけられないものなのだ。