From Ireland on Sunday: Bono in Line for Nobel Peace Prize ボノ、ノーベル平和賞候補に http://www.irelandonsunday.com/current/news/article.tmpl$showpage?ps=30362292938627 By Eugene Masterson  スーパースターのボノは昨晩ダブリン自由市民の称号を他のU2のメンバーやマネー ジャーのPaul McGuinnessと共に受賞したが、今度はそれよりもずっと大きな賞の候補に なっている。それはノーベル平和賞だ。  「歌う運動員」は、来年の受賞者の本命の一人と目されている。 かつては反逆児で あり、今でもビッグマウスのロックスターが最も誉れ高い賞を受賞するのは、人類の 歴史を考えるとおかしがられても無理はない。しかし5月に40歳になるそのスターは、 世界の有力者を説き伏せ、第3世界の持つ何十億ドルもの負債を帳消しさせてきたのだ。  1970年のパンクの時代にBallymun(?)に飛び出してきた向こう見ずな若者が、いつの 日か大統領執務室に楽々入り、アメリカ大統領を説得して、円滑に何十億ドルにも 値する負債を帳消しさせるようになると思った人はいたであろうか。しかし、それ こそがまさにPaul Hewsonが成し遂げたことなのだ。  2年前、ボノはJubilee2000に説得されて、発展途上国の負債を軽減するキャンペーン の顔となった。  多くの人はボノのことを、即席の見解を示したり時々明らかに馬鹿な行動をとることで 嘲るが、彼は人道主義の問題点が議論される限りは思ったことを何でも言うようにして きた。  GreenpeaceとAmnesty Internationalは、彼が支持する主な団体のうちの2つである。 有名なのは、1993年にU2の4人がSellafield郊外の海岸で、核物質の処理と公害に 関して行った抗議行動である。  Jubilee2000の起源は、1980年代にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が旧約聖書のレビ記 から引用し、西暦2000年に奴隷を解放し、貧しい人々の抱える借金を帳消しにすることを 提案したところにある。その後、OxfamやTrocaireといった機関がその運動に興味を持ち 始めた。  「私は2年ほどかけてボノに参加するように説得しようとしました」とJubilee2000の Jamie Drummond氏は日曜日に本紙に語った。「最終的に、アイランドレコードにいる 友人を通して、情報を渡しました。彼はすぐに興味を持ってくれ、我々に関する資料を 読み漁りました。そして彼はまず、1998年5月にバーミンガムで開かれたG8(西側 先進工業国+ロシア)での我々の運動に公式に加わりました。次に1999年2月にロンドン で行われたBrit Awardsで、世間に向けて我々の運動についてスピーチをしました」  1984年のBand Aidとその翌年のLive Aidの仕掛け人であるBob Geldofも運動に加わり、 この2人のアイルランド人はJubilee2000の顔となった。  「ボノはこれまでに多大な貢献と時間を割いてくれました。」とDrummond氏。「我々は 最初、この問題を知ってもらうためのコンサートを開いたりアルバムを制作するのかと 思っていましたが、代わりに彼は自分のアドレス帳を開いて友人や他のスターに電話し、 政治家に直に会って議論してくれました」「彼自身の魅力とアプローチの効果は絶大 でした。彼は我々が政治家に会うのにも本当に力になってくれましたし、彼のメディアに 対する影響は非常に大きかったのです。  Drummond氏は運動に参加してくれた有名人と著名人のリストについても指摘した。 モハメド・アリ、ダライ・ラマ、デズモンド・ツツ大司教、ユアン・マグレガー、 ヴァン・モリソン、ボクサーのプリンス・ナジーム、先日ダービーマッチを行った インテル・ミラノとACミランのフットボーラー達。  G8の各国のうち、アメリカ、イギリス、カナダの3ヶ国は21の第3世界の国々が 持つ負債の帳消しに同意し、総額3000億ドルのうちの1000億ドル以上が免除された。 しかしこれら負債の半額はG8諸国が債権者であるが、残りの半分はIMFや世界銀行と 言った機関からの借入金であり、帳消しにするのには高い壁が立ちはだかっている。  日本は数百億ドルの債権者であり、Jubilee2000の次のターゲットである。しかし日本 政府は消極的である。イタリアは、特にボノがマッシモ・ダレーマ首相に面会した後 数週間のうちに大きな熱意を表明した。フランスもまた考え直し始めたようであり、 ドイツにも狙いが定められている。  アイルランドは第3世界への債権は明らかに持っていないが、Drummond氏によれば この国はEUが持つ債権を放棄するように呼びかけ続けているそうである。  このキャンペーンにより、モザンビークを含む41ヶ国の負債が帳消しになることが 望まれる。しかし、Jubilee2000は貧窮化したハイチを含む11ヶ国もリストに加えたいと している。  各国政府高官に会い続けた後、ボノは何か違和感を感じてるらしい。「俺は、ロックン ロール世代の政治家との接近することができたと感じた。」と彼は気づいた。「俺達も 彼らも『政治家はすべてでたらめばかり言っている』というイメージで育ってきた。 でも今は彼らの生活は可能性の芸術であり、不可能のそれではないことが分かった。 彼らは俺が考えるよりも働き者だよ。そして俺のよりも味気ない生活なんだ」  ボノはクリントン大統領に何回か面会した(2人が最初に言葉を交わしたのは1991年 にコンサート(註:ZooTVツアー)中の中継であった)。ボノは、ロックスターが上品な 服装(註:ベルサーチ)とスポーツ用サングラスを身に付けて大統領執務室にやって きてたところを、そこで働く多くの人々が見に来たと語った。そのサングラスとは、 まさにボノが今年の初めにJubilee2000の代表団の一員としてローマ法王ヨハネ・パウロ 2世に謁見した際にしていたものであった。 「アメリカの人々には非常に大きなインパクトを与えました」とDrummond氏。「アイル ランド系アメリカ人がローマ法王とボノとBob Geldofが同席しているのを見た時が、 我々の方に追い風が吹き始めた時です。ほとんどそのすぐ後にクリントンがアメリカの 持つ債券の放棄を宣言したのです。」